CMN Headline
Vol. 33 [2011年7月発行]
アナログからデジタルへ。
変わりゆく「テレビという時代」。
2011年7月24日、日本のメディアにとって大きな出来事がありました。アナログ放送の終了、そして地上デジタル放送への切替です。アナログ放送がブルーバックに切り替わったその時、民放各局はこぞって「新しい時代の到来」と囃したて、デジタル放送の鮮やかさ、美しさを見せつけるかのようにきらびやかなセットでその瞬間を迎えました。正直なところ、それは目が痛くなるほど強い色彩でした。豪華さが売りの80年代ですら、これほどの色遣いはなかったように思います。それは、デジタル対応テレビのせいだけではなかったように思えました。
その日、奇しくも古新聞を目にする機会がありました。発行年は1989年9月。海部政権が発足した日でした。バブル経済がちょうど、崩壊を始めた時。それまで、日本は全国民が同じ方向を向いていました。敗戦後の高度経済成長そのままの勢いで走り続けてきた日本。走る方向も同じなら、流される方向も同じ。良くも悪くも、ひとつにまとまっていた時代。そんな時代にあってテレビは、日本人の最も愛すべき大衆娯楽であり、それは文化そのものでした。人気のある番組は、それ自体が文化。または、流行っている文化はテレビにたくさん登場する。夕食時には家族がテレビの前に集まり、ときにはチャンネル権を奪い合って喧嘩をする。ブームとなるような番組の視聴率は30%を超えることもザラでした。
今はどうでしょうか。パソコン、携帯電話、ゲーム、タブレット。テレビに代わる新たなメディアの台頭によって、テレビは文化ではなくなりました。番組はただのコンテンツ。家族が全員テレビの前に集まることは少なくなりました。視聴率は低迷し、インターネットやソーシャルメディアの登場によって信頼性は低下し、日本人の趣味が多様化したことによって「大衆向け」の存在意義が薄れていきました。
ただし、それを時代の変化で片付けるにはあまりに安直です。なぜなら、テレビは昔からラジオにも、雑誌にも、新聞にも負けず、文化として圧倒的優位に立っていたからです。他のメディアより優れた部分をたくさん持っているテレビという媒体が苦戦しているのは、本当にインターネットのせい「だけ」でしょうか?コンテンツの多様化「だけ」でしょうか?ラジオや新聞をはじめあらゆる娯楽や情報産業で圧勝してきたテレビが、インターネットに簡単にやられてしまうのでしょうか?
テレビの凋落の原因は、圧倒的優位という慢心にこそあります。日本人の心をひとつにしてきたテレビは、それだけ真剣に視聴者と向き合っていたのです。今のテレビは、視聴者がそっぽを向いているのにも関わらず、前に回り込んで見たくもないものを無理やり見せているかのようです。それは、デジタル放送のきらびやかさをひけらかすかのような、あの強い色彩のセットが象徴しているかのようでした。
今、日本がひとつにならなければならない時代に求められているのは「一体感」。ただしそれは、メディアが無理に作り出すものではなく、視聴者とメディアが二人三脚で潮流を起こしていくべきものでしょう。以前にも述べましたが、今求められているのは真摯なメディアなのです。